私が、今ここに立っている姿を誰が想像したのでしょうか?
正直、自分でも不思議です。
ここで私の過去を、皆さんに紹介します。
この話は、中学校時代の話しです。中学1年生の1学期、私が言われた暴言に、私が反論したことから「いじめ」が始まりました。
その中には、
「デブ、キモイ、汚い、死ね」
とひどい言葉ばかり…。そして中2では、暴言から、さらにエスカレートし、物を投げられたり、けられたり、なぐられたりと、いじめが大きくなっていきました。
そんな私を周りは、誰も助けてはくれませんでした。
見ていただけるとわかると思いますが、私は、自分の外見にたくさんのコンプレックスを今でも持っています。
そのコンプレックスと今もたたかい悩みながら生きています。
やがて私は、「生きる」という希望すら忘れていきました。
とうとう、私は、学校に行けなくなってしまったのです。
そして、絶対にやってはいけない、「リストカット」まで……。
不登校となった私を親や周りの方々、クラスの子たちが心配してくれるようになり、学校の先生が「カウンセラー」の先生を紹介してくれました。
中3になり進路を、考える時、私は、ここで今の弱い自分と決別し自分を変えなければと思い同じ中学校の子が誰も来ない清翔高校を選びました。
そして、私は、2年前、「清翔高校の佐村美佳」になりました。
入学した私は、友達作りには、とても悩み神経を使う毎日が続きました。
自分を、表現するのが苦手な私は、クラスの子や担任の先生に毎日電話を何時間もかける日々が続きました。
そのことで、クラスの子に嫌な思いをさせてしまい「一人ぼっち」になってしまいました。
又中学校時代の弱い自分が戻ってしまったのです。
そのため学校には行けず、家で毎日涙を流して、悩んでいまいた。
これでは、「私はもうダメだ…。学校が続かない。」と思うようになっていました。
マイナス思考が私の「生きる道」を狭くしていたのです。
戻った教室は温かさでいっぱいでした。
高2になり、目覚めた私は、苦手な体育に積極的に参加しました。また、仲間と共に、検定取得に向け、放課後遅くまで残り「補習」
をしていました。
誰も私を見捨てることはありませんでした。
そして、すべての結果が出た時、人生で初めて「学校って楽しいところなんだ」と思えるようになりました。
また体育の授業の持久走では、「美佳ちゃん頑張れ!」と声をかけてくれた先生、同じ科の仲間。
清翔祭では、毎日夜の8時まで仲間と共に「モザイクアート制作」をやり切りました。
あの時みんなで食べた、吉野家の弁当の味は今でも忘れません。
正直、生きてるなぁと感じました。
よく担任の先生が私に言います。
「過去をわすれることはできんぞ。過去を背負いながら未来を変えることはできる。今までの自分を忘れてはダメや」と……。
そんな私にも夢ができました。
今までの経験を生かし、体の不自由なこどもたちからお年寄り、又自分と同じ悩みを持っている人達の支えになるような仕事に就くことです。
昨年クラスで「いじめ」に対するHRで「ヤンキー母校へ帰る」のドキュメンタリーをみんなで見ました。見ている時に、涙を流している子もいたし、私も感動しました。
「HR」を通して私は、一生懸命生きなければいけない。「いきる」ということを学びました
1年前の弁論大会で吉村君の堂々とした発表を見て「すごい」「立派だな」と思い私も
こんな風に自信を持ちたいと強く思い、今ここに立っているのです。
ご清聴ありがとうございました。
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